2011年10月19日 教職員礼拝 吉田栄一 「拠り所(よりどころ)」

2011年10月19日

 

 

「生きていくということは、中々に難しいものだ」 最近つくづくそう思う。 そんな最近、自分のキーワードとなっている言葉は「拠り所(よりどころ)」である。「拠り所」を大辞泉で引いてみると

  • 1 頼みとするところ。支えてくれるもの。
  • 2 ある物事が成り立つもとになるもの。

とある。自分の拠り所はどこなのか。自分の存在は何の上に成り立っているのか。

 

かの徳川家康は「人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くがごとし いそぐべからず 不自由を常とおもへば不足なし こころに望おこらば困窮したる時を思い出すべし 堪忍は無事長久の基」という言葉を残したが、この句の冒頭にあるように、生きていくということは簡単ではないのだ。

 

わたし達は何を拠り所としているのだろうか。不確かな自分自身の力や考えだろうか。自分の力に考えに頼るとき、不確かさは更に加わり、いよいよ生きていくことを難しいものとする。では、何を拠り所にするのがいいのだろうか。

 

 

詩篇1篇1~3

  • 「いかに幸いなことか、神に逆らう者の計らいに従って歩まず、罪ある者の道にとどまらず、傲慢な者と共に座らず、主の教えを愛し、その教えを昼も夜も口ずさむ人。その人は流れのほとりに植えられた木。ときが巡り来れば実を結び、葉もしおれることがない。その人のすることはすべて、繁栄をもたらす。」

エレミヤ書17:7

  • 「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り、暑さが襲うのを見ることなく、その葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく、実を結ぶことをやめない。」 

 

この二つの聖句は、ダビデ王と預言者エレミヤの言葉だが、共通しているのは、人が主を拠り所にすることで、水の近くの植物のように常に潤い実を結ぶことができるとある。このほかにも聖書の中には、たくさんの同様の聖句がある。

 

 

 

詩篇90篇10

  • 「人生の年月は七十年ほどのものです。健やかな人が八十年を数えても得るところは労苦と災いに過ぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたし達は飛び去ります。」

この聖句だけ読むと、やっぱり人生にはたいした意味は無く、むなしいだけのように取れるが、これには続きがある。

 

 

詩篇90篇16~17

  • 「あなたの僕らが御業を仰ぎ、子らもあなたの威光を仰ぐことができますように。わたし達の神、主の喜びがわたしたちの上にありますように。わたしたちの手の働きを、わたしたちのために確かなものとし、わたしたちの手の働きを、どうか確かなものにしてください。」

大変な毎日の中でわたしの願いは、私たち自身が主イエス・キリストにしっかり繋がっていることで、わたし達の周りの人たちがイエス・キリストの愛に触れる事ができるように。わたし達がその働きを喜んで行い、わたし達のなす一つ一つの働きを恵み祝し、させていただけるように。わたし達の「拠り所」は主イエス・キリスト、それによって水のほとりに植えられた木のように実を豊かに結び、そのよろこびを伝えることができるように生きたいと思う。