2012年11月12日 教職員礼拝 吉田栄一

2012年11月13日

「皆でキリストのために」 キリストにある一致

 

2種類の一致

校長として、学校を一致した一致団結した組織にしたいと常々考えてきました。そんな中で、気がついたのは「一致」という考え方の中には、2つの種類の一致が存在するということでした。一つであることの中には、①性質や特徴が同じものでグループを形成する(Uniformity)、②多種多様なものであるものが何かの目的によって集結し相互に同一なものとして機能する一体性(Unity)があります。

 

人間は、もともと育った環境も違えば、価値観も、考え方も、そして感じ方も違います。世の中で何が多様かって、人間ほど多様なものはありません。そんな人間が2人以上集まって集団を作るわけですから、そこにはもともと「一致」などということが起こるわけがありません。人は一人でいるときには問題を起こしませんが、二人以上になって、互いの違いや係わり合いが生まれるとすぐに問題が起こるのです。私たちが、組織としての「一致」を実現するには、Uniformity と Unity の両方が必要です。

 

 

神様によって集められた

私たちの学校の教師について考えて見ましょう。Uniformity においては、クリスチャンであること、全員が神様の召しに応答する形でこの場所に集められたことでしょうか。しかし、実際に集められて、働いている私たち一人一人は、全てにおいて多様で、一致とは程遠い状況にあります。そんな私たちが一致を目指すには、どうすればいいのでしょうか。Unity においてはよく言われるようにキリストにある一致を目指さなければなりません。それは、2000年前に、多種多様な人々がキリストの元に集まってきて、キリストを中心に互いの係わり合いが生まれ、相互に同一なものとして機能したことと同じです。どこでもいいから好きなところに集まりなさい、という号令ではばらばらになって収集がつきませんが、キリストの周りに集まりなさいと声をかけたとしたら、多様な私たちが自然に一つのところに集まる事ができるのと同じです。

 

キリストに従って生きたいという共通部分(Uniformity)を持つ私たちが、ただ集まっただけでは、やはり多様性がぶつかり合いうまくいかないでしょう。 キリストのために働くという共通目的(Unity)で人を集めたとしても、もしその一人一人に共通認識(共通部分)がなければ、これまたうまく行かないでしょう。

 

キリストに従って生きたいという(Uniformity)を持った人たちが、キリストのために働くという共通目的(Unity)を分かち合って行くときに、よりよい「一致」が生まれるのではないでしょうか。

 

 

キリストのからだは一つ エペソ4章1節~16節

 

さて、主にある囚人であるわたしは、あなたがたに勧める。あなたがたが召されたその召しにふさわしく歩き、できる限り謙虚で、かつ柔和であり、寛容を示し、愛をもって互に忍びあい、平和のきずなで結ばれて、聖霊による一致を守り続けるように努めなさい。からだは一つ、御霊も一つである。あなたがたが召されたのは、一つの望みを目ざして召されたのと同様である。

 

主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つ。すべてのものの上にあり、すべてのものを貫き、すべてのものの内にいます、すべてのものの父なる神は一つである。しかし、キリストから賜わる賜物のはかりに従って、わたしたちひとりびとりに、恵みが与えられている。

 

そこで、こう言われている、「彼は高いところに上った時、とりこを捕えて引き行き、人々に賜物を分け与えた」。さて「上った」と言う以上、また地下の低い底にも降りてこられたわけではないか。降りてこられた者自身は、同時に、あらゆるものに満ちるために、もろもろの天の上にまで上られたかたなのである。そして彼は、ある人を使徒とし、ある人を預言者とし、ある人を伝道者とし、ある人を牧師、教師として、お立てになった。

 

それは、聖徒たちをととのえて奉仕のわざをさせ、キリストのからだを建てさせ、わたしたちすべての者が、神の子を信じる信仰の一致と彼を知る知識の一致とに到達し、全き人となり、ついに、キリストの満ちみちた徳の高さにまで至るためである。こうして、わたしたちはもはや子供ではないので、だまし惑わす策略により、人々の悪巧みによって起る様々な教の風に吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、

 

愛にあって真理を語り、あらゆる点において成長し、かしらなるキリストに達するのである。また、キリストを基として、全身はすべての節々の助けにより、しっかりと組み合わされ結び合わされ、それぞれの部分は分に応じて働き、からだを成長させ、愛のうちに育てられていくのである。