2013年1月15日 教職員礼拝 栗原真理江

2013年1月15日

子ども達に伝えたいこと

愛少女ポリアンナ

 

今回は子どもたちに伝えたいことというお題ですが、子どもたちに毎日の生活の中でもできることを何か伝えられたらなと思い、考えてみました。

 

今から約二十うん年前の話になるのですが、毎週日曜日の夜7時くらいからフジテレビ系でハウス世界名作劇場というアニメが放映されていました。「小公女セーラ」、「愛少女ポリアンナ」、「愛の若草物語」など、とても有名なアニメなので、みなさんの中にも聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません。私はこの頃、ちょうど小学校低学年だったので、同い年くらいのアニメの中の少女に猛烈にあこがれていたのを覚えています。特に愛少女ポリアンナが大好きで、ポリアンナの髪型はおかっぱで、左右の髪の毛をちょっとずつとり三つ網に結っているのですが、私もそれを真似して、ポリアンナが放映されていた約1年間は、ずっとポリアンナとおそろいのヘアスタイルをしていました。

 

このアニメは1920年代のアメリカボストンが舞台で、牧師であるお父さんを病気で亡くしたポリアンナが叔母に引き取られ、新しい土地で生きていく姿、また大きな事故に遭ってしまい、もう歩く希望ももてない状況の中で力強く生きていく姿が描かれています。そしてこのアニメで一番特徴的なのが、ポリアンナが父親の遺言である「よかった探し」というゲームをしていくことです。「よかった探し」とは、どんな事が起きてもその中から「よかった」と思える事を探し出して、明るく振る舞う事です。叔母のひどい仕打ちや事故により歩くことができないと思われるような苦しい状況においても、前向きに「よかった探し」をするひたむきなポリアンナの姿に、周囲の人々は心引かれてゆくというストーリーです。

 

ポリアンナがどんな「よかった探し」をしたか、いくつか例を挙げてみると:

・罰でジャガイモの皮を食べさせられても、「食べ物があって幸せ」と言う。

・その日は家にお金が入る日で、ハムを食べることができる日だったが、お金が少ししか入らず、ハム無しで卵だけだった。ポリアンナは「卵が食べれてよかった」と言う。

・気難しいおばさまのところに行って、不眠症のおばさまに「それなら夜たくさん本が読めて素晴らしいわ」と言う。

 

 

これは余談なのですが、ポリアンナは良い意味でも悪い意味でも「極めて前向きな楽観主義者」として位置づけられ、欧米ではあまりにも楽観的な人のことを皮肉って「ポリアンナ」と呼ぶこともあるそうです。

 

心の持ち方

この「よかった探し」は人の思考の方向性の問題、つまり心の持ち方のことなのではないかと思います。同じ事実や同じ対象を見ても、すべての人が、まったく同じように考えたり感じたりするのではありません。すべてその人の「心」がそれを見て判断するのです。人の思考には癖があるように思います。ポジティブに捉える傾向のある人、逆にネガティブに捉える傾向のある人がいて、ネガティブに捉える人は、これは私も該当するのですが、わざわざ悪い面ばかり拾って、「ああ、私ってついてないとか不幸だわ~」とかそういう考えをする癖がついてしまっているのではないかと思うのです。人それぞれなのですが、なるべく「良い面」を探して、そのことを喜んだり、嬉しがったりしている方が、新たな喜びや幸せがやってくるような気がします。

 

たとえば、たくさんの買い物をしたとして、「今日はいいものがたくさん見つかって良かった!」と素直に喜ぶのと、「ああ、こんなにお金を使ってしまった。」とちょっと自己嫌悪に陥るのと、みなさんはどちらでしょうか。私はけっこう気分によって衝動買いをすることがあり、後から「いや、これは必要だったし…」とか自分に言い聞かせたりすることがあります。これでよかったんだろうか?とか、買いすぎではないだろうか?などと反省することも決して悪いことではありませんが、罪悪感から発せられる思考や行動は次の思考、行動に必ずなんらかのよくない影響を与えてしまうと思います。反対に、ああ、楽しかった。いいものがたくさん買えてよかった。こんなに買えたのだから、しばらく買えなかったとしても満足だわ~と喜びや幸福感から発せられた思考、行動はまた次の幸福感を生み出すのだと思います。

 

そしてこれは、物事の大小とか、重要度とかに関わらず、全てのことに言えることではないかな?と思います。心の持ち方で、同じことが輝いてみえたり、不幸に見えたりします。罪悪感、不平、不満からの思考、行動より、満足感、喜び、幸福感を原動力とした方が、さらなる喜び、幸福感を生み出し、自分自身や他の人に対する不平や不満もなくなるのではないかなぁと思うのです。

 

 

聖書の中の「よかった探し」

最後に聖書の中でパウロが「よかった探し」のような心を持って神様の働きをしていたという箇所があるので、それを読みたいと思います。

この時パウロはキリスト教を述べ伝えているということで、捕縛され獄中にいました。

 

<ピリピ1:12~14>

パウロも、投獄されながらも喜びました。投獄の最中でも、兵営の人々に福音を語ることができたからです。

『兄弟たち、わたしの身に起こったことが、かえって福音の前進に役立ったと知ってほしい。つまり、わたしが監禁されているのはキリストのためであると、兵営全体、その他のすべての人々に知れ渡り、主に結ばれた兄弟たちの中で多くの者が、わたしの捕らわれているのを見て確信を得、恐れることなくますます勇敢に、御言葉を語るようになったのです。』

 

この後20~26節で、

<ピリピ1:20~26>

パウロは生きるのも死ぬのも益だと告白しました。死ねばキリストのみもとに召されるのだから感謝。生きていれば、福音のためにさらに働くことができるので感謝。どちらにしても喜びました。

 

また27~30節で、

<ピリピ1:27~30>

イエスを信じるとは、救いの恵みを受けるのですが、キリストのための苦労も受けるのだと告白しました。しかし、キリストのための苦労なので喜ぶと言っています。

 

この「よかった探し」を忘れずにすることが私自身の今年の目標でもありますし、みなさんにも、また子どもたちにも毎日の生活の中でやってみてほしいことです。それを子どもたちに伝える1年でありたいなと思います。