今年も早いもので、あと1ヶ月となりました。12月は本校が創立以来大切にしてきた行事、クリスマス会があります。このクリスマス会はずっと教会で行われていましたが、ここ3年はコロナ禍のため、そうすることが叶いませんでした。しかし今年はやっと教会ですることができるようになり、とても楽しみにしています。子どもたちの歌やトーンチャイムの練習も一段と熱が入ってきました。クラスによって歌う曲は様々違いますが、小学部では2ヶ月近くに渡り各クラスでの練習や、合同練習をしてきました。また、中学部のトーンチャ
イムでは、一つでも音がなければ曲が成り立たない楽器ですから、クラスのチームワークを培い、演奏することを大切な要素として指導してきました。クリスマス会当日がとても楽しみです。
今から約2000年前にベツレヘムという小さな村でイエス・キリストが生誕したことは聖書の「福音書」と呼ばれるキリストの生涯に関わる記録に書かれています。その部分を紐解いて詳しく調べてゆくと私達がイメージしているイエス生誕物語とは違う意外な事実が浮かんできます。
聖書によれば、キリストは旅先で産まれました。当時は旅と言っても今とは全く違い、困難極まることでした。おそらく私たちならば臨月にロバに揺られて旅行することなど考えもしないことでしょう。そして、そもそもどうしてそのような時期にわざわざエルサレムからベツレヘムまで旅しなければならなかったのでしょうか。直線距離にするとわずか10マイルほどの道のりですが、当時ユダヤの国はローマ帝国の支配下にありました。その時のローマ皇帝アウグストゥスが全世界の人口調査を行うこととなり、すべてのユダヤ人男性は家族を連れて自分の出身地に移動し登録する必要がありました。その登録の時期とイエスの生誕の時期がぶつかってしまったのです。やっとの思いでベツレヘムに到着したこの若い夫婦には、さらに大きな困難が待ち受けていました。各地に散らばっていたベツレヘム出身者が一同に帰省したため、宿屋はいっぱいだったのです。なんとか一晩泊まれる場所は、ある宿
屋がもっていた馬小屋でした。フサフサの藁が敷き詰められた光り輝く場所として、聖画などでは描かれていることが多いですが、野宿するだけでも厳しく、赤ん坊を産むのにふさわしい衛生条件はおそらく整えられてはいなかったはずです。神の子が不衛生な場所で産まれたことは、不釣り合いに見えるかもしれません。でも、神の子が人として産まれることは、下僕にまで身を低くすることに等しいことだったと、後に聖書に書かれています。だとすれば、この生誕にまつわる出来事は、わたしたちの罪の犠牲となって十字架にかかってゆくイエスの生涯をまさに予表していたといえるのではないでしょうか。
さらに不思議なことは、この生誕にまつわることが前もって預言されていたということです。キリストが生まれる前に書かれたと言われている旧約聖書には、メシヤ預言と呼ばれているキリストに関わる預言がいくつも記されています。その中には、キリストがベツレヘムで生まれるということさえも、しっかりと明記されている驚くべきこと箇所があります。このメシヤ預言について知っていた人たちは、心からイエスの誕生を待ちわびていたことでしょう。
このように、あらかじめ預言されていたキリストの誕生は、困難極まる状況での出来事でしたが、世界中で感謝の気持でお祝いされるにふさわしい出来事だったのです。
各ご家庭で楽しいクリスマスをお過ごしになると思いますが、このキリスト生誕にまつわる出来事を思い出していただければ幸いです。皆様お一人お一人に メリークリスマス!
園長・校長 前川英樹
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