卒業生インタビュー
Interview 08
三育は、人として生きてく上で必要な生き方が学べる場所
東京大学大学院 新領域創成科学研究科 社会文化環境学専攻 修士2年
Yu Okumura
2016年卒業
ICUHS→東京大学理科一類→東京大学建築学科→東京大学大学院→日建設計
頻繁に思い返すことが2つあるのでそれについて書きます。あまりその学びをぴったり表現してくれるフレーズが見つからないので、エピソードっぽく書きます。
1つ目。三育は、放課後日本の勉強をする場所というのが基本ですが、それ以外の内容にも溢れていました。運動会・餅つき会・クリスマス会などは分かりやすいですが、通常の時でも、休み時間が必ず設けられています。授業後も勉強するため残ったり、(確か)外で遊んだりもしていました。一緒に何かをやり遂げると、期間が短くてもすぐ仲間になれていた気がします。
10歳まで日本で育った僕にとって、特に最初の数年の現地校はやはり、新しすぎる環境に大変に精神をすり減らしていました。家以外の安らぎの場所として三育がずっとあり、僕はそれで現地校を頑張れていた時期がかなりあります。最近になって気づいた事ですが、この経験はその後の自分の在り方にも大きく影響を与えていて、逃げ場や安らぎの場所を1つ作っておくと他で頑張れるという場面が多々ありました。クラスで仲間を作り部活を・部活仲間と踊って気晴らしし受験を・創作活動を傍で行い就活を、という風に、人でも行動でも、自分の心が休める場面を無意識に作って人生の大事な場面を乗り越えてきました。その原体験となっているのが、三育に通いながら頑張れたアメリカ生活だったのだと思います。
もう1つ。三育の大きな特徴に聖書の時間があります。(記憶が正しければ)聖書の”内容”を知ることが目的ではなく、自分の身の回りや歴史上の出来事と聖書を照らし合わせ、その”精神”を学ぶための時間だったと思います。それは回によって異なりますが、徳というか、人間としてあるべき姿というか、大人になってもぼーっと生きていると考えないような内容について話すことが多かったです。今思うと、授業もどこかそれに基づいていた気がします。これが正しいから覚えろという姿勢ではなく、生徒の疑問や発言は全てと言っていいほど拾ってくれますし、それが理由で授業が遅れることもありましたが、それすらも学びの一つだったと思います。こういった風な時間を過ごしていたことで自然と、物事を深く考える力と多角的に見る力がつきました。中学生にしてはかなり様々な事を考えていましたし、高校大学以降では勉強でも人間関係でも、この思考の力が自分という人間を豊かにしてくれました。
怠惰を避ける事や、先延ばしにしない、グループワークができるようになる、みたいないわゆる”正解”とされている事を学ぶ場は、既に世界に溢れているような気がします。それらももちろん三育で学びますが、そうではない、人として生きてく上で必要な生き方が学べることができたと思っています。そんな中で特に重要で自分を形作ったと思った2つを書かせていただきました。
楽しかったエピソードはいくらでも挙げられそうですが、他と毛色がちょっと違う印象で残っている思い出は、卒業式の答辞を誰がやるか決めた時です。具体的な決め方ちゃんと覚えてるわけじゃないんですが、生徒主体で決める感じだったと記憶しています。
僕は前年送辞をやっていたので、答辞は三育歴が長くここで生まれ育ったような人がやるものだと勝手に考えていました。立候補制じゃなかった気がしますが、どちらにせよ自分からやるとは言わなかったと思います。ですが、話し合い始めて割とすぐの時に自分の名前があがり、”まあそうだよね””それでいんじゃね”みたいな感じで決まったのを覚えています。
もちろんそれまで三育で疎外感を感じたことがあった訳でも無いですし、答辞をすることが誇らしかったとかそういうわけでも無かったです。ただ、三育に通った4年半の間に、そんな風になんとなく、みんなの代表として喋る事が違和感でない存在になっていたということが、じんわりと暖かく嬉しかったのだと思います。
逆に言うと、こんな瞬間じゃないと受け入れられていることに気がつかないくらい、自然に、すっと打ち解けられていた。今振り返ると、そんな環境が三育にあったからこそ、僕の印象に残っているのではないかと考え、このエピソードを選びました。
僕がこれから就く仕事は構造設計といい、建築物を実現させるためのエンジニアのような仕事です。分野的にも進路的にも、これから先沢山の建物や構築物に携わることになると思います。
ものづくりが好きな自分にとってやはり1番嬉しい瞬間は、完成した実物をその目で見た時です。そんな自分の目標は、人の想像した建築を実現できる技術、そして自分の作りたいものを実現できる実行力、この2つを磨いていくことです。
願わくば、東京の街を歩いている時、国内各所を訪れた時、ある外国の話になった時、自分の携わった建築物があるとふと人に紹介できるような構造家になりたいと思っています。
僕が三育で得た学びや経験は先述したような内容でしたが、卒業後も三育生と話していると、得たものは本当に個々によって違っていたという印象でした。三育の先生とスタッフの皆さんはとても寛容で、生徒の方も頻繁な生徒の出入りに慣れているのですぐ受け入れてくれる素敵な環境です。三育に求めるものがあれば、三育側から得られるものも自然にそれに沿っていくのではないかと思います。
特に何か目的が無くても、先述のように三育は人として成長させてくれる場です。気づくのは在学中ではないかもしれないですが、人生というスケールで大きな良い影響をもたらしてくれると思います。三育に入って後悔したという卒業生には未だに会ったことがないです。もし入学するのであれば、いつかどこかでお会いした時に三育の話をできると嬉しいですね。
あまり勉強の話はしませんでしたが、きちんと日本の勉強はできます。三育の勉強と現地校での内容のもと、帰国後もきちんと勉強すれば、日本の勉強についていけないと感じることはありませんでした。もう少し踏み込んで言うと、もちろんずっと日本にいた人とそのまま比べると特に国語や社会などの知識差は出ますが、成績や受験面で言えば英語力と三育でできた分、あとは意外と現地校で学んだ知識で共通しているもの、でお釣りが来るくらいだと思います。